愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

noteの有料記事で書くか、無料記事で書くかの線引を考える

最近、またnoteの有料記事課金の話が盛り上がってきています。でも、収入面で考えた時、お金払った人しか読めないnoteの有料記事と、誰でも読める無料記事+広告、どちらのほうが良いかで悩む人もいると思う。そこで自分なりに考えてみた。

単発の記事は無料記事で書く

ちょっと書きたいなと思った時は、無料記事でささっと書いてしまう。Twitterのタイムラインを見ながら思うことをつぶやいていたら、もう少し考えをまとめて書きたいと思った時など。この記事みたいに。

それなりにボリュームがあっても単発の記事なら無料記事で良いと思う。自分の考えをまとめるためと、後々の有料記事への導線としてオープンになっている方が良いように思うからだ。

ちなみに無料記事の媒体はnoteでなくても良い。むしろAdSenseアフィリエイトを貼るつもりなら、noteでないほうが良いだろう。noteではできないので。

連載、本になるくらいのボリュームがあるならnoteの有料マガジンで書く

元々、連載や本にできるほどのネタがある時だけでなく、単発の無料記事を積み重ね、それらをわかりやすくまとめたら、ある程度のボリュームにできそうなこともあると思う。そういう時は、noteの有料マガジンに、連載という形で記事を書くと良いと思う。そして、単発の無料記事からそのマガジンへのリンクを貼ると導線になって良さそうだ。

単発の無料記事を読んで、もっと掘り下げて知りたい、関連する内容を通しで読みたいと思うユーザーがいれば、課金してくれる可能性はあるだろう。この場合、自分にそれほど知名度がなくても、検索エンジン経由で課金してもらえる可能性はあると思う。

あと実際にユーザーが課金してくれて、さらにマガジンの記事を後々増やせそうなら、記事数に応じて値上げするのも良いと思う。

noteの月額マガジン

これは週一くらいで時事ネタを書ける人で、かつ、それなりに知名度がある人でないとなかなか難しいと思う。自分は出来る気がしない(笑)

自然選択から考える年を取って好奇心が衰える人と衰えない人

年を取ると新しい事への好奇心が薄れ、新しいものをただ否定する人たちがいる。対して自分は40代になってもそれほど好奇心が衰えたように思えない。特別勤勉だとは思わないし、能力も衰えていっているだろうけど、今も新しいものに興味を持てるし楽しめている方だと思う。変化のない生活、人間関係は安心感より退屈さの方が上回る。

年齢と共に好奇心が衰え、新しいものを受け入れられなくなる人々に対して、保身や既得権益を守るために変化を望まず、新しいものを恐れるのだといった見解はよくある。けど、彼らの反応はもっと脊髄反射的に見えるし、受動意識仮説で言われるように脳がただそのような意識を生産しているだけのように見える。好奇心が衰える人と衰えない人の差は、単純に遺伝的形質の差であって、自分たちの先祖がどういう環境で生存してきたかによるのでは。と、最近思ったりする。

www.nikkei.com

キリンの首が長いのは、彼らのように高いところの果実を食べられる個体の方が、首が短い個体よりも生存確率が上がり、結果、首が長いキリンのみが残った。というのは進化論でよく語られる話。この話で大事なことは、キリンが高いところの果実を食べたいと念じたり、環境に合わせてキリンの首が長くなったわけではなく、偶然、首が長いキリンが生まれ、高いところに果実がある自然環境が、彼らを選択したという観点である。生物個体の生存の意志や環境適応の意志などは関係なく、たまたま首が長く生まれたキリンが自然環境のふるいに残ったということだ。自然が生物を選択していることから、これを自然選択という。

同様に、私達人間の中に年齢と共に好奇心が衰える人、衰えにくい人がいるのは、先祖が生息した自然環境の違いと関係しているのではないだろうか。例えば、作物が安定して育ち、水も手に入りやすい環境であれば、変化に対応する遺伝的形質はそれほど求められないと考えられる。

環境はなるべく変化しないほうが、生物個体の生存率は上がるだろう。自然環境が安定している環境で、わざわざ好奇心旺盛な人々による人為的な社会環境変化は受け入れないほうがいい。だから自然環境の変化が小さい環境では、人為的な社会環境変化を好まない個体の方が、好む個体よりも優先して選択されそうである。(若い時は生きていく術を学ぶための好奇心はあるとして)

ここで強く言いたいのは、あくまで自然環境が変化を好まない遺伝的形質を持った人間を選択するということで、人間の主体的な意志、生存戦略的な思考はあまり関係がないということである。元々変化を好まない遺伝的形質の人間が選択されるという観点である。

逆に自然の変化が大きい環境ならどうか。雨が降ったり振らなかったり、作物が育ったり育たなかったり、振れ幅が大きく予測がつきにくい環境であれば、状況に応じて生きるための知恵を絞る創造性など、環境の変化に対応できる遺伝的形質を持っている必要がある。さもなくば自然選択のふるいに落とされる。好奇心も生存に重要な要素のように思える。

日本という島国単位で見た時、それほど環境のばらつきがでるだろうかとも思う。しかし、今では問題にならないような小さな環境の差が、昔は生存に深く関わっていただろう。人間が自然選択のふるいにかけられ続けた数千、数万年という期間に比べたら、これほど食料と水の流通、人の移動が容易になり、祖先が異なる人々が入り混じって生活している現代は、まばたきのような瞬間である。

年齢と共に好奇心が衰え、新しいものを拒絶する思考は、遺伝的形質による主体性のない自動プログラムのようなものならば、彼らに新しいものの良さを訴えて認識を変えることが困難な事も納得できる。似たような遺伝的形質を持つ好奇心旺盛な人々と繋がることを優先したほうが、現代の生存戦略として有効そうである。大きな社会変化をもたらすテクノロジーは、もはや自然環境であって、実際の自然よりもテクノロジーの方が人間を自然選択のふるいにかけている。

 

まだSPA開発で消耗してるの?

使い古された煽りテンプレタイトルですが、リッチクライアントなウェブアプリ、SPA開発に疲れた人、今さらながらやるべきか考えている人などの参考になれば幸いです。

当方、ネイティブアプリ開発メインのプログラマンで、消耗するほどSPA開発などしていないですが、久々にSPAというかリッチクライアントなウェブアプリの開発をやりました。Reactを使ったんですが、これを機会に勉強しなきゃと思いつつ放置してたAngularJSも公式のチュートリアルもやってみました。

個人的にフォルダの構成とか静的型付け言語のTypeScriptと親和しているAngularJSの方がReactよりいいなと思ったのですが、この記事を読んで、

www.bokukoko.info

やっぱり自分はSPAはやらなくていいなと思いました。というかウェブフロントエンドの開発は最小限にしたい。

以下、その理由。

頑張ったところでネイティブアプリのUI/UXに勝てない

かなりスマホのスペックが上がった今でもネイティブと比べたらウェブアプリはモッサリ感がある。また、OSの機能をフルに使えて、新機能をリアルタイムに追随できるのは、やはりネイティブアプリである。

ウェブアプリを作り込む主な理由は、

  • ネイティブアプリより開発コストが低い
  • ネイティブアプリをインストールするハードルが無い
  • OSに依存しない

ことであると思うが、その理由の妥当性も考え直して見る必要があるのではないだろうかと思う。

ネイティブアプリの開発はずいぶん楽になった

一昔前はiOSObjective-CAndroidJavaという今となっては古めかしく冗長な記述を余儀なくされる言語を使うしかなかった。でも今はiOSはSwift、AndroidはKotlinという今風の洗練された言語で開発できる。

さらに検索すればたいていの問題の解決方法は見つかるし、Githubに豊富なライブラリやコンポネントがある。ネイティブアプリの開発はずいぶん楽になりました。相対してPHPRubyJavaScriptといった動的型付け言語が主流のウェブプログラミングの方が、規模が大きくなると辛いと感じるように。

規模が大きくなるほどに、コンパイラが事前にエラー検出してくれる静的型付け言語のありがたみを感じる。そこでウェブアプリも静的型付けのTypeScriptでガッツリやれるAngularがいいかなと思いましたが、そこまでくるとネイティブアプリ開発とコストがあまり変わらなくなるように思う。

ユーザーのほとんどはスマホである

今やほとんどのサービスへのアクセスはスマホからだろう。それなりに使ってもらえるサービスなら、ネイティブアプリを用意した方が良いはずだ。上記の理由によりウェブアプリを作り込むよりは、ネイティブアプリのインストールを促したほうが良いだろう。

LINEはまさにそうしている。LINE NEWSで検索すると、https://news.line.me/のリンクが提示されるが、アクセスするとhttps://news.line.me/about/へリダイレクトする。そこはスマホアプリのダウンロードを促すランディングページのようなもので、最近の記事一覧などはない割り切りである。

へたにリッチなウェブアプリケーションがあると、スマホアプリをインストールの妨げになる。ウェブの方は必要最低限にして、その分ネイティブアプリの開発に注力する。という考え方もあるだろう。

ウェブアプリならOSに依存しないというメリットもあるが、スマホで対応すべきOSは、実質iOSAndroidの2つだけである。端末サイズによるレイアウト崩れなどの問題は、ウェブアプリでも同じく抱える問題である。

フレームワークが乱立する

スマホのネイティブアプリ開発で使用するフレームワークは、OS提供元であるAppleGoogleが提供するものを使う(ゲームならUnityなど選択肢があるが)。これらのフレームワークは、そのOSがユーザに使われる限りメンテされ続ける。OSのバージョンが上がるごとに機能が追加されたり無くなることもあるが、基本的には過去の遺産を引き継いでいる。

しかしブラウザベースで動かすものはフレームワークが乱立し流行り廃りがある。あるフレームワークを使って、それが数年後もメンテナンスされている保証は、ネイティブアプリに比べると低い。さらにメジャーバージョンアップで下位互換がほとんどなく、一から書き直さねばならないことも珍しくないだろう。

それでもSPAとして開発するなら

個人的には、どうしてもPCの画面サイズが必要でブラウザ上でやりたい時に限られる。となると、管理画面でリッチなことをしたい時くらいかなと・・・

改めて自主開発で今後もメンテナンスしていく予定の管理画面のフロントエンド実装をみたら、たいしてボリュームがあるわけでもなく、今後もCoffeeScriptjQueryで十分な気がしました。サーバーサイドは静的型付け言語のGoで、コードのボリュームはこっちに持っていって、JavaScriptの実装は極力抑える形でやればそう困らないかなと。

藤井聡太君はAIとの融合により、一足先にサピエンスから進化したのではないか

サピエンス全史にあるように、我々人間というかホモ・サピエンスはAIや遺伝子操作により、ホモ・サピエンスを超える何かに進化するのかもしれない。サピエンス全史では、その存在をホモ・デウスと呼んでいる。

藤井聡太君はAI将棋との対戦で強くなったらしい。

abematimes.com

練習対局もしますが、こちらが気がつかない筋を指されることも多くて、いろいろ発見があって楽しいです。

そして小説の設定を超える勢いになった藤井聡太君。

半サイボーグ化というと機械的に脳にインプラントするようなことを想像しがちだけど、こうやってAIから知恵を拝借してサピエンスの限界を超えるパターンもあるかなと思いました。これもAIとサピエンス脳の融合みたいなもの。

AIによる自動化で仕事を奪う、とか、仕事しなくて良くなるとかいう話が最近盛んですが、そういうサピエンスとの役割の分担だけでなく、融合の部分も妄想を膨らませたいですね。そちらのほうが直近で実践できそうだし。プログラミングもAIで書かれたものから知恵を授かる時は近いかも。

ちなみに将棋はぜんぜんわかりません・・・

夜飲みすぎないように日中つまみ飲みしてみた

あー終わったー。酒飲もう。ガブガブ・・・こうやって仕事から解放された途端、発散的に飲むから飲みすぎてしまう。お酒を仕事が終わるまで飲んではいけないという習慣、思い込みがむしろ飲みすぎるきっかけになっていないだろうか?

そこで、日中酔わない程度に時間を分けて、ほんの一口だけ飲むようにしてはどうかと考えた。お酒を仕事上がりに飲む特別なものから、いつでも飲めるものに格下げすると、夜飲みすぎなくなるのではないか?それに1日の中で分割して飲んだほうが肝臓の負担も少なさそうだ。

ただ、昼間から飲むのはアル中への道かもしれないし、危険かもしれないと思っていた。が、とりあえず試してみた。結果は・・・期待してたとおり夜飲みすぎなくなりました!

日中から少しつまみ飲みしてると、飲み飽きみたいな感覚ができて、夜それほど飲まなくなったのです。外だとお店の人と話しながらなので、今まで通りつい飲みすぎてしまうけど・・・でも家では明らかに飲む量が減りました!

選ぶお酒は日本酒が最適。ビールは開けたら炭酸が抜けるので飲みきらないといけない。ワインも劣化が早いので、おいしいうちに飲まないともったいないと、つい飲み過ぎてしまう。しかし、日本酒は冷蔵庫で1週間くらい余裕で味がもつものは多い。

家飲みで翌日お酒が残ることはなくなりいい感じです。ただ、これは人によると思うのでおすすめはしません。たぶん自分はアル中になる素質?がない。日中から酔いたい気持ちよりも、仕事したい気持ちのほうがきちんと上回る。ストレスフリーな生活しているので酔わない程度に制御できる。

仮想通貨・トークンがもたらす通貨が分散化した未来像

最近、大きく値を下げた仮想通貨ですが、現行の法定通貨(JPY)と価値変換できる以上、投機的になるのは仕方ない。それよりNEMのモザイクのように、法定通貨と連動しないトークンを発行し、発行者が限定的な価値をつけるところから、まったり広まっていくといいなと考えてます。

農家Aさんのトークンは野菜を割安で買える。アプリ開発者Bさんのトークンはアプリの制限機能を使える。それぞれ価値は限定的だけど、トークン発行者が増えれば増えるほどトークンの種類が増えて多様化する。そうするとトークンを組み合わせて持つことで法定通貨一択に依存せずに生活ができる。これは個人にとってリスクヘッジにもなると思う。

インターネット以前、メディアといえばテレビ一強だった。インターネットの登場で個人が誰でも情報発信できるようになり、メディアは分散化していった。一人一人が発する情報は狭く偏っているけど、複数フォローすれば様々な情報を得られる。自分で得たい情報をカスタマイズできる。Twitterのタイムラインがまさにそう。

同様の流れが通貨にも起きると思う。国が発行する法定通貨一択から個人がトークン(何らかと価値変換できる媒体)を発行するようになる。さらにそれらの交換は分散型取引所(DEX)で簡単に出来る。自分の生活に合わせて必要なトークンを流動的に組み合わせて保有する。

逆に言うとある仮想通貨が万国共通の決済通貨として使われる可能性は低いように思う。インターネット後の世界である現在、あらゆる情報を包括的に発信するメディアと、個人や小さい団体の限定的な情報発信メディアが混在しているように、法定通貨と仮想通貨・トークンも似たような関係になるのではないか。

答え合わせは30年後。でも、もっと早く答えは出るかな。