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愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

地方でフリーでプログラミングスキルで生きていく

クラシルが食べログの牙城を崩すか?お料理レシピもCGMからキュレーションメディアへ。

自分も最近注目のクラシル。情報はテキストでぱぱっと理解したいので動画はかったるくて嫌い。でも料理の作り方は動画が助かります。実際に手を動かすものはテキストだけで理解するのは難しい。

thebridge.jp

クラシルはユーザー投稿型のサイトではなく、運営がきれいでわかりやすいものをアップしている。しかも1分以内で終わるものばかりで見ていてストレスがたまらない。また、それだけ短時間で簡単に作れるものばかりだから実用的。

クラシルは、世の中に膨大なレシピが存在し、色んなユーザーが各々作り方をアップしているクックパッドの対極にあるキュレーションメディアと言えるだろう。そして、NewsPicksでホリエモンがコメントしているように、料理動画はユーザー投稿型メディア(CGM = Consumer Generated Media)は厳しい。

私も料理動画アプリを作ったことあるのでよくわかりますが、動画レシピのCGMはまず無理です。インスタグラムの料理動画みればわかります。まともなものはほとんどありません。そして料理は動画で見た方がわかりやすい。

引用元: https://newspicks.com/news/2146911?ref=pickstream_100616

料理は動画がわかりやすい。けど、わかりやすく構成を統一した動画を作るためには、運営がきちんと統制を取って動画を作っていく必要がある。

ウェルクはマニュアルを作り人海戦術でサイトを大きくしていった。クラシルもコンテンツ充実のため、動画作成マニュアルもあるだろうし人海戦術だと思う。でもウェルクのようなインチキをばらまくメディアとは違うしなり得ない。

「健康」が題材だとプラシーボ効果もあるし、得た情報の実践が本当に効果があるのか判断しにくい。けど、料理やプログラミングのTipsは、試してみて美味しい・美味しくない、動く・動かないがすぐに判断できるので、質の低いサイトが人を集めることは考えにくい。だから料理の動画サイトもユーザーを集めたければ真面目に作るしか無い。

クックパッドからクラシルへ。これは正しいキュレーションメディアへの移行例のひとつではないだろうか?クラシルは自分も使っていくし応援したい。

人間関係は広く浅くがストレスがたまらなくていい(人間関係のデフレ化)

余計なしがらみができるのが嫌で人付き合いを増やすことを避けていたけど、それは間違いだったようだ。最近、地域コンテンツのネタ探しに、暇さえあれば県内あちこちへ行っている。初めてのお店でカウンターに座って、お店の人にお店の事や街の事を聞いたりする。

異なる環境で新しい人と出会う事が楽しくなると、相対的に住んでる街で同じ人と会う機会は減ってくる。住んでる場所が離れている人とは、しがらみもできようがない。相手もしょせんは違う街に住んでいる人だという認識もあるだろう。

そうすると知り合いは増えるが、一人一人と深くつるまないので、人間関係は広く浅くなっていく。知り合いはたくさんいるから孤独感から解放される。濃密で面倒な人間関係からも解放される。ま、どこにでも人はいるし知り合いになれるよねという安心感。

いつでも手に入るもの。コモディティ化したもの。それは空気のような存在になり、その存在を深く考えることはなくなる。人間関係だって同じだ。いつでも人間関係を補充できると思えば、人間関係の価値が下がる。人間関係のデフレ化。

固定化された環境で気の合う人とだけとつるむのは居心地良く感じるものだ。でも他人はいつ変わるかわからない。やりたいことができて、あなたが住んでいる街を出ていくかもしれない。結婚して家庭に収まり飲み友達でなくなるかもしれない。

そうなった時、固定化された環境で気の合う人とだけつるんでいた人にとって、新しく人間関係を築くのはハードルが高い。そして孤独を感じるようになり、自身の意志ではなく周囲の変化に合わせる生き方を選択するようになる。

でも他人の変化に合わせるのはストレスがたまるものだ。逆に自分が変わらない選択をすると、新しく出会った人に自分に合わせることを強要したりする。人間関係の価値が高まりすぎると、それまでの人間関係が壊れた時、心のなかに暴落のようなものが起き、孤独や混乱が襲ってくる。

最近というか今ごろ高城剛氏の多動という言葉に共感している(うさんくささを感じるのも認める(笑))。彼も世界中を渡り歩いて広く浅い人間系の心地よさを問いている。動くこと、新しい人と会うことが習慣化すると、個々の人間関係に深く悩まなくなるのだ。

住んでる街から離れた街で、また会いに来ようと思える人が複数いると、合わないとは会わなければいいだけだという気持ちになれる。広く浅い人間関係はいつでも補充可能。自分が動きさえすれば。

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高齢者を敬う気持ちが薄れているという話を平均余命から考える

SNSで賑わっている文部省の教科書検定の件。郷土愛や高齢者への感謝の気持ちを持つことを促すよう修正させる意図があり話題になっています。

www.asahi.com

その中で高齢者への感謝の気持ちが薄れてしまったという話をする人もいるので、因縁生起、諸行無常の思考で、ちょっとその辺に言及したいと思います(笑)

そもそも人間が70歳以上まで生きるようになったのは、わりと最近になってのこと。また、もともと人間はそこまで生きるように設計されていないらしい。だから70歳を過ぎると身体より先に脳の寿命がきて、痴呆になり介護が必要になるといったことが起きる。

リンク先の厚生労働省の平均余命の表を見ると、人が70歳以上まで生きるのが当たり前になったのは、1945年あたりに生まれの人からのようである。

www.mhlw.go.jp

こういうのは平均寿命ではなく平均余命で見ることが大事だと思います。平均寿命で見ると、乳幼児の死亡率が高かった時代、その死亡率も入れてしまうと大きく平均値が下がってしまう。

なので、自立して収入を得て家庭を築くであろう20歳時点での平均余命を見る。そしてその平均余命が50歳を超えた、つまり20歳まで生き延びた人たちの平均寿命が70歳になったのはいつからかを見る。

そうすると1965年あたりから平均余命が50歳を超えている。つまり1945年以降に生まれた人から、70歳以上生きるのが当たり前になったと考えられる。今の40〜50代くらいの人たちの親世代ですね。

よって高齢者に対する敬意が失われたも何も、50年前は介護が必要な親を抱えることも、身近に70歳以上の高齢者がいることも当たり前ではなかった。対象が身近にいないのなら、高齢者に敬意を抱くこともできない。

また当時は70歳以上まで生きるのは珍しいから、身近な人に大事にしてもらえたということもあるのかもしれない。姥捨て山の話もあったりしますが・・・(あれはあくまで民話で実際に村の掟としてそういうことがあったという記録はないらしいですが)

だから高齢者の社会福祉問題は感情論ではなく、あくまで現代社会の問題としてとらえるべきかと思います。もちろん若い世代が人生を犠牲にするような形であってはならないし、高齢者をないがしろにしていいわけでもないです。

自分の親が高齢になって病気になったり介護が必要になるまでわからないものですが、いざとなったら自分の親は切れないものです。そういう時に社会福祉の制度に助けられます。高齢者のための社会福祉制度は、その子供が自分の人生を生きていくためにも必要なことです。

ということを自分も親が脳梗塞になった時に知りました・・・

道徳の教科書検定の話からそれてしまいましたので、最後に教育の話に戻します。「日本人の9割が知らない遺伝の真実」にある行動遺伝学の検証によると、社会に出てからは、本人が持つ遺伝的形質と今置かれている環境が、それまでの教育環境の違いの影響を大きく上回るそうです。

自分も道徳の教科書で習ったことは覚えていないし、特に今それが影響しているとは思えない。だから某学園で教育勅語らしきものを受けた園児たちも、そんな影響は微塵もなく立派に成長していくでしょう(笑)

早くガンの手術をしていタラ、生きていレバ。ジョブズ・タラレバ話。

ドラマ・タラレバ娘をhuluで観てます。漫画の方は読んだことないのですが、面白いですね。

NewsPicks経由でこんな記事が。既出の話のつなぎ合わせですが。

www.businessinsider.jp

改めて読んでみてビル・ゲイツとの差は、哲学の差かなと思う。偏るのはよくないとか言われる昨今だけど、天才は強烈な固定観念の持ち主だったりする。

天才は圧倒的な固定観念の持ち主ばかりだ : ITスペシャリストが語る芸術

固定観念(およびその影響)は色々に表現される。例えば、思い込み、心の呪縛、無意識の束縛、条件付け、潜在意識の中のガラクタ、スコトーマ、エングラム、裏の記憶、その他様々である。そんなものを取り去るという、セミナーや教材も色々あるようだ。

だが、大天才と言われる人なんてのは、物凄い固定観念の持ち主ばかりだよ。そんな人達が、「俺の心の中には悪い呪縛がある」と気付いて、もし、それを消すことに成功したら凡人になってしまうのだ。

だから振り子のように大きな成功と失敗をする。ジョブズは最初にガンが見つかった時、手術を拒み自然療法にこだわったらしい。それが寿命を縮め本人も後悔したらしい。またよく知られる通り癇癪を起こし人間関係を悪くすることもよくあったらしい。

ジョブズのそういうところがなけレバ。人間関係をうまくやりAppleを追い出されなかっタラ。時間を無駄にすることがなく、今も生きていて、さらにイノベーションが起こせたのではないか。

そう言うのはナンセンスだと思う。そういうおかしな偏りと偉業の達成は強く相関していると思うから。

情報収集は自分が取り組みたい問題を解決するきっかけ探し

ただ情報をかき集めて時事ネタに詳しいだけの人になっても、何の問題にも取り組めないだろう。ろくに情報を集めず行動して、頭でっかちになってはダメだ!とか言って行動するのも問題を拡大しかねない。そこにゼロリスク思考が乗ってくると害悪を撒き散らしかねない。まず自分がコミットする・できる問題を設定して、その問題解決のために情報を集めるという動機が大事ではなかろうか。

また解決する問題を設定した上での情報収集は、見る媒体や集める情報に偏りがでるだろうけど、別にそれは悪いことではないと思う。真剣にその問題を解決したいと思うなら、正しさを追求するだろうし、自分が長年取り組んできた仕事に準ずるものなら、そうでない人より正しい判断ができるだろう。

問題は歪んだ正義感から誰かを叩きのめすことが目的になっていることで、それが動機である限りどんな媒体を介そうとも、歪んだ思考を補強し正義のこんぼうと盾を分厚くする材料集めにしかならない。

NewsPicksの無人コンビニ特集。Amazon Goなど。

NewsPicksの特集記事、「コンビニの未来」が面白かったです(有料記事)。

newspicks.com

Amazon Goは、シアトルで実験的に無人コンビニを展開している。店内のいたるところにカメラやセンサーが設置され、それらが自動でユーザーが買ったものを判別し、請求はクレジットカードで。

無人コンビニと言っているけど、シェフがいて地元の食材を使ったテイクアウトできるようにもなっている。レジなど無人化で浮いた人件費は、高付加価値を提供できるシェフに回せるようになる。

Amazon Goのシステムはレンタルという形で、既存の店舗に導入されることになると予想される。数年後には日本にも上陸し徐々にコンビニは無地レジ化していきそうである。

先述のシェフの件など、無人レジ化することでコンビニはより多様化していくかもしれない。あそこのコンビニは扱っているお肉の鮮度も良くてシェフの腕が良いよねといったふうに。また従来の飲食店が、Amazon Goを導入してシェフが料理し、シェフおすすめの野菜や肉の販売も行うようなミニスーパーのような形態も出てくるかもしれない。

カメラやセンサーの個数や精度に応じて、レンタル料金は変わるのだとしたら、個人店でも導入できるコストになるかもしれない。こういったことが地域の特色を強めて、地域活性のきっかけになるかもしれないですね。

人はなぜ理不尽な労働環境でも半ば肯定的に働き続けるのか

ブラック企業をやめたくてもやめられない人。彼らに他の働き方、生き方を提示しても、何らか今の状況を変えてはならない理由を口にして、自分の置かれている状況を改善しようとしない。そういう人たちを見て不思議に思うフリーランスの人は多いのではないか。でもこれは進化論の自然選択のルールで説明できるのではないかと思う。

人類は、長い間、不自由で抑圧的な環境を生き抜いてきた。明治維新はたったの150年前の出来事で、せいぜい4〜5世代前までは人々は封建制度社会の中にいた。多くの人は生まれた土地から死ぬまで出ることはなく、また簡単に離れることはできず、もし離れれば餓死と直結したかもしれない。

だから生まれた地が理不尽な環境であれ、それに耐えるしかなかった。耐えられない個体、境遇に疑いを持って反発する者は自然選択のルールにより淘汰される。自殺という形か、村八分の末に餓死するかだったのではないか。はたまたあらぬ罪を着せられ、処刑されるようなことがあってもおかしくなさそうだ。

そして現代を生きる人々の多くは、そういった境遇を生き残った祖先だろう。つまり、自然選択の中で理不尽な環境に耐える特性を備えていると考えられるのではないか。だから劣悪な労働環境でも、働き続けてしまうのかもしれない。そこから抜ける扉は開かれているにも関わらず。

※ 思いつきで書いただけで科学的根拠はありません