愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

地方でフリーでプログラミングスキルで生きていく

有効活用できるスキマ時間を作るために車に乗るのをやめよう

東京に住んでる人は電車移動が当たり前だけど、地方は車で移動する人が多い。けれど、私が住んでいるような人口30万規模の地方都市では車なんかなくても生活できる。駅の近所に住めば自転車で事足りる。買えないものはネットで買えばいい。

県内の人が集まる街や観光地も電車で行ける。行きたいけれど車じゃないといけない場所ってそんなにない。それでも地方の周囲の空気感から車で移動することに疑いを持っていない人は多いのではないか。どうしても車じゃないと困る時はタクシーを使えばいい。たぶん年単位で見たら車を所持するコストより安いはずだ。

それで本題ですが、車で移動するということはハンドルを握ることになるので他に何もできないということ。つまり移動というスキマ時間を有効活用できない。電車ならKindleで読書できるし、ノートパソコンでブログだって書ける。

最近、県内各地に行くことが多くなった。電車で往復2時間ということもよくある。でもそれくらい読書やブログ書いてたらあっという間だ。東京暮らしの人なら、家賃が安い郊外から職場のある都心へ電車で1時間近くかけて通勤し、読書で時間を潰すのは割と普通のこと。それがスキルアップにつながっているかもしれない。

でも地方に住んでいる人には、ちょっと考えにくいことのようだ。賃貸マンションでも駐車場代は東京に比べたら安いし、通勤先にも駐車場がある。だから車通勤が当たり前になる。その流れで観光地などへ遠出する時も車が基本。そのせいでスキマ時間を活用しきれてないような。

これ書いててふと思ったけど、東京と地方の格差って電車で移動するか車で移動するかでスキマ時間活用の格差の影響も多少ありそうな気がした。車通勤から電車通勤に変えて読書するようにしたら、将来に大きく影響しそうに思う。

東京と地方に情報格差なんかないというのは正しいかも知れない。たしかに情報自体はどこにいても手に入れられる。けど、情報取得の機会格差のようなものはあるのではないかな。それが東京と地方のスキルや文化多様性の格差につながっているような。主な原因は地方の若者人口が減ってることでしょうけど・・・

セルフブランディングしたいけど炎上になったら嫌だと思う人はキャラクターにしゃべらせよう

実名でセルフブランディングしてる人って、ある程度認知が広がるとアンチもできて、炎上は避けられないように思う。キングコング西野さんのように常に炎上状態で燃えながら進めばいいと言えるのは、心臓に毛が生えた人たちである。

そこでアイデア。自分の分身キャラクターを作る。デザイナーさんなら自分で作ればいいし、そうでないならクラウドワークスのコンペで募ればいい。そして、LINEスタンプみたいに、喜怒哀楽などいくつかのパターンも用意する。

SNSなどウェブサービスのアイコンもそのキャラクターで統一。ハンドルネームは実名ではなくキャラクター名にする。ブログやSNSの投稿にそのキャラクターアイコンを挟むようにする。何かの批判もキャラクターが怒ったアイコンを貼ってやれば、そのキャラクターが怒ってるように見える。そうすると身バレしてても、キャラクターが言ってることのようになり炎上のクッションになる。

あとホリエモンがチームラボの猪子さんを彼はアートが免罪符になってて叩かれない、ずるい。みたいな話をしてたけど、確かに自分で何か物を作ってると炎上しにくいと思う。西野さんは別だけど・・・個人アプリ開発者とかは自ら火を投げない限りあんま炎上しないと思う。

楽天は楽天ポイントでベーシックインカムを試験的にやってほしい

前から思ってるんだけど、楽天楽天ポイントベーシックインカムを試験的にやってほしい。 職業収入問わず抽選で楽天ユーザー数百人位に、毎月20万楽天ポイントを生涯支給。それくらい楽天の資金力なら余裕でやれるはずだ。

楽天ポイントベーシックインカムを受ける条件は、楽天がその後の動向を調査・公開することを受け入れること。そしてみんな働かなくなるのか、やりたいことやってもっと生産的に生きるのかを報告して欲しい。

あれだけ普及してる仮想通貨もどきなんだから、もっと面白いことやって欲しいなあ。

ブログ収入がアウトプット量と比例して収入が伸びなくなる理由

基本的にアクセスが伸びれば伸びるほど収入が増えるはずだから、記事を増やす、つまりアウトプット量を増やせば、比例して収入も伸びていきそうだが、実際はそうではない。頭打ちが起きるからだ。

あるジャンルで記事を書いたとして、それを求めるユーザー数には限りがある。たとえ無限とも思えるユーザー数がいても、ライバルブログに持っていかれるかもしれない。特にビッグワードならなおのことそうだ。

だから同じジャンルで記事を書き続けてもどこかで頭打ちがくるのは自然なことだと思う。そのジャンルで上位のブロガーを追い抜くくらいの専門的知識や違った切り口で記事を書けるなら良いのだが。

私はブロガーというよりアプリ開発の人間だけど、アプリもブログ記事も同じで、アウトプット量が収入に比例するとは限らない。たとえばあるジャンルのアプリで収入が得られたとして、機能追加や宣伝費追加してもダウンロード数が伸び収入が伸びるとは限らない。

ミニアプリ開発やってて思うのは数を作ることも大事だけど、今まで作ったのと違うジャンルのものを作ることも大事だと思う。1つの幹を育てるのではなく、種をそこら中に植えるイメージ。

ある種は芽が出ないかもしれない。芽が出ても30cmくらいで成長が止まるかもしれないし1mを超えるかもしれない。それは基本的に出してみるまでわからない。だからせっせといろんなところに種をまくのだ。結果としてこれは分散投資のようなもので、数がそろえばどれかが枯れてもどれかが収入を支えてくれる。

ブログのようなテキストコンテンツも多ジャンルでやるのがいいかもしれない。多ジャンル1ブログも悪くない気がする。伸びたジャンルだけnoteで有料記事にするとかすればいいし、それもまた違うところに種をまくということだ。

シンギュラリティはパンドラの箱ではなさそうだ

AI(人工知能)が人間の知能を上回った時、技術的特異点=シンギュラリティが起こり、パンドラの箱が開くかもしれない。よくありがちな仮説は映画のように人工知能を有したスーパーコンピューターやロボットが人類を支配する退廃的未来だ。

この前、NewsPicksのインタビューで高城剛さんは「いまだにシンギュラリティがどうのとか言ってる人がいるけどダサい。それはHuman 2.0(現人類)シミュラークル(虚構)だ」と切り捨てていた。

newspicks.com

またサピエンス全史の著者もホモ・サピエンス(現人類)は近い将来絶滅するでしょう。それは戦争によって絶滅するのではなく、科学を持って別の何かに進化するからだと述べている。 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

私もこの仮説に肯定的である。シンギュラリティを恐れるのは、人間と機械の間にボーダーがあるように感じている前時代的な人々の考えではないかと思うのだ。私たちは漫画、アニメ、映画の中で人間と同じような感情を有する人型ロボットの存在を見てきた。それにより、人間は人間のままで、人間を模倣したロボットが人間社会に紛れ込むという未来を想像しやすい。

しかし、現実に近い将来起きることは、人間が機械というか超小型のコンピュータを搭載したデバイスと一体化することだろう。あくまで人間を母体として機械によって人の能力が拡張されるという方向が現実路線だと思う。

だから機械が人間を超えて人類を支配する未来ではなく、人間が機械や遺伝子操作でHuman 2.0、ホモ・サピエンスから、アップグレードする。つまりシンギュラリティとは、自然選択という生物界の進化のルールを逸脱し、自らの力で進化を成し遂げることなのだと思う。

そして、その進化を遂げた時、より人間は理性的になると考えられる。脳がアップグレードされたにもかかわらず、破壊的衝動に駆られるようなことは考えにくい。また最終的に人間は電子空間の中で意識が統合されていくのかもしれない。そうすればもう何かを奪い合うこともない。

結局、シンギュラリティを迎えた時、国民国家主義、個人主義と共に戦争もなくなるのではないかと思う。自我こそが争いの種なのだ。

いずれ収入を得ることを目的としたテキストコンテンツのアウトプット先はどこがいいのか?

いずれ収入を得ることを見越してテキストコンテンツをアウトプットしていこうと決めた時、今はたくさんアウトプット先の媒体があり、どこにすべきか悩みますよね。

コンテンツの数が増えた時、無料ブログよりももっときちんと整理して閲覧できる形にしたい。へたにプログラムが書けると、自前のシステムを作るところからやるべきか悩んだりする。

書きたいことが多ジャンルである場合、ドメインパワーを集結するために1つの媒体で一緒くたにアウトプットするべきだろうか。後で人気が出たジャンルのコンテンツだけ分けたくならないだろうか。なら最初からブログを分けるべきか、もしくは後で人気があるコンテンツだけ見やすく整形できるよう自前でシステムを作るべきか。

と、あれこれ悩んだりして、最初の一歩が踏み出せなかったりします。成果も出ないうちからこんなことを考えるのは、取らぬ狸の皮算用なんですが。ブーメランで自分にグサリ(笑)

私の結論として、とりあえず無料ブログで始めれば良いのではと思う。コンテンツ内容とユーザー属性が一致するコミュニティのブログを選ぶくらいは考慮する。もし人気が出たら、無料ブログと並行して直接課金できる媒体でアウトプットすればいいのだ。

イケダハヤトさんは無料ブログと並行してnoteで有料記事を書いている。ホリエモンは無料ブログと並行して有料メルマガを発行している。人気が出て知名度が上がれば直接課金できるし、そちらのほうがAdSenseよりも割が良いはずだ。

大事なのはどの媒体でアウトプットするかではなく、まず細切れでもいいし、前書いたことと多少かぶっててもいいから、無料ブログに記事を1つでも多く書くことだと思う。基本的に書けば書くほどアクセスは集まるはずで、人気が出て知名度が上がれば、そこからの課金の方法は用意されているのだ。

今まで書いたことを本のように読みやすくまとめてnoteの有料記事として発行してもいいし、電子書籍にしてもいいし、両方発行してもいい。週1くらいでネタを提供できる自信があれば有料メルマガもいいだろう。

大事なことはまずアクセスを集めて認知してもらうこと。そのためには1つの無料ブログでたくさん記事を書くことだと思う。複数ブログを分けると管理がめんどうだし、とりあえず1つで良いと思う。

ということで、まずは書きましょう!ブーメランで自分にグサリ!

サピエンス全史の話が仏教で締めくくられている件が感慨深い

サピエンス全史では人類史と共に人間の幸福とは何かをテーマとして扱っている。文明の発展、移動生活から定住生活といった人類の選択は、個人の幸福度の向上に繋がったかといったことに疑問を呈している。

サピエンス全史は20章で構成され、最後の20章は今の人類=サピエンスが、科学によって自然選択の進化の枠組みを超え、サピエンス以外の何かに自己進化する未来予想について書かれていて、やや話題が変わる。

つまり19章で個人の幸せとは何か?という大きなテーマに区切りがつく構成になっている。その締めくくりが仏教ブッダの話なのである。私自身、脳科学、心理学、進化論などの本を読んだ後に仏教の本を読み、ブッダの悟りについて私なりに理解をしたつもりでいた。その私の理解と著者の書いている内容が合致しており、とても感慨深く思えたのである。要約するとこのような話である。

ニューエイジ運動や生物学者は、幸せは外部の成果によって決まるのではなく、内なる感情によって決まる。だから富や地位など外部の成果の追求をやめて、内なる感情に耳を傾けるべきなのだと説く。しかしブッダは、その内なる感情の追求をもやめることだと説いた。事実、内なる感情に固執するほどに、その感情を満たすことを渇望するようになり苦しみを増す。”

結局のところ、外部の成果であれ内部の感情であれ、何かに固執するということが苦しみの源になるのだ。外部の成果、つまり富や地位を求めるのは、自己承認欲求を満たすためのものだろう。外部の条件は関係なくとも内部の感情を満たそうとするのも欲の追求である。どちらも自己への執着であることに変わりがない。

まさに「我執(がしゅう)こそが苦の源である」という仏教で説かれている話である。

最近、私は自分への興味が薄れていっていると感じる。投げやりな意味ではなく、個人と個人の間、個人と外部環境の間にボーダーなど本当はないという理解がそうさせているのだと思う。すべては繋がっているのだ。

仏教用語諸法無我というものがある。単独で成り立っているものは何もなく、すべては他との相関によって成り立っているという見解だ。肉体によって物理的に分離されているから、意識は独立したものだと考えがちである。それを自我や魂と呼んだり認識したりする。

しかし、近い将来、電子的に人の意識は繋がるかもしれない。人間が半サイボーグ化し、テレパシーのようなもので意思の疎通ができるようになれば、人の意思は独立したものという価値観は崩れ去るだろう。肉体によって分離されていた意識はシームレスになる。形どるもの全ては幻であり実体は無であるという仏教の色即是空の世界観にも通じる。

もしそうなれば、人々は多くの苦しみから解放されることになる。なぜなら、苦しみの根源は独立した自我がそこにあるという認識によるものだからだ。

 

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