愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

広告から応援したい人への投げ銭が収入源になるとコンテンツプラットフォームは健全化する説

テレビもウェブも不倫ネタとかくだらないと思いつつも、本能的に見てしまう。それが視聴率やPVを上げ、そこに貼られている広告経由で、配信者の利益になってしまう。

本能的欲求から見てしまうことと、自分にとって価値があるから見ることは、同じ見るでもぜんぜん違う。どっちにお金を払いたいかと言えば、誰だって後者のはず。

広告収入から応援したい人に投げ銭する仕組みへのシフトは、この問題を解決するんじゃないかなあと期待している。噂話好きな本能的欲求から相変わらずその手のコンテンツはアクセスを集めるかもしれないが、収入にならなければ縮小されていくのではないだろうか。

受動意識仮説は正しいかもしれないが、能動意識もあるのではないか

受動意識仮説によると、意識は脳が決定した行動を受動的に記録しており、何をするかの決定は無意識下の脳の決断によって行われているという。

とある脳科学の本で、このような話を読んだ。外界から入ってきた刺激は、脳で処理され、再び行動という形で外界へアウトプットされる。その過程を、in - outそれぞれ一方通行のように我々は考えがちである。しかし、実際はもっと複雑で外的刺激は脳の中でぐるぐるとループして処理されアウトプットされるのだと。

このように考えると脳の中に受動意識と能動意識の両方が混在し、それぞれの相互干渉によって行動が決定されると考えるほうが自然に思える。実際、体感的にもそのように感じる。

脳科学、心理学、仏教哲学などで自我にまつわる話を読んでいると、何らか行動を決定しうる意識が生まれた時、これは本当に自分の意識なのかという問いがつきまとうようになる。自分の意識が正しいものか疑うようになり、より思慮深くなる。そして、自分の意識を客観的に監視する俯瞰的な意識が生まれる。いわゆるメタ認知である。

私はメタ認知こそが能動意識であり、自我と呼べるものではないかと思う。そして受動意識に対して能動意識の干渉するようになり行動に影響を与える。その方が体感的にしっくりくる。

情報発信においてセルフブランディングは本当に必要なことだろうかという問い

SNSでセルフブランディングの必要性が問われるようになって久しい。Google検索の上位はアフィリエイトがらみの記事ばかり上位に並ぶことも珍しくなくなった。そして発信者の信頼性が重要という情報と個人がひもづくべき論へ。でも本当にそうなのかな?という疑問。

まだSNSもなく2ちゃんねるができたばかりの頃。黎明期からインターネットのコミュニティに参加してきた当時の人たちも「コミュニティ疲れ」を経験していた。

当時は今よりインターネットに接続している人はずっと少なかったけど、簡単な趣味のホームページを作り、そこに掲示板を設置して同じ趣味の人達と交流することはあった。当時も荒らしや、本人は悪気はないけど必要以上に書き込み、色んな人と絡もうとうする粘着質な人はいた。そして、みな嫌気がさしてコミュニティが崩壊していく光景を目にした。

そんな中で現れたのが2ちゃんねるだった。原則みんな匿名。ハンドルネームどころかただの番号。それでも中には有用なスレッドがあり、貴重な情報が交換されていたりする。罵詈雑言の中に笑えるものや、泣けるもの、ほっこりするものもあった。

それを見て私が感じたコレコレ感。ネットでは情報の発信者がどこの誰なのかどうでもいい。情報が得られればいい。息抜きで笑えればいい。誰かの気分を害しないための気遣いや継続的な交流はいらない。そして、ハンドルネームを捨て、私はどこの誰でもない2ちゃんの一部になった。

ミームプールとしてあるべき形ってこうじゃないのかなと、当時を振り返って思ったりする。あそこからSNSでセルフブランディングって、なんか違う世界線へ移動してしまった気がする。

黎明期の小さなコミュニティでも不用意な発言をすると、以前からその人をよく思っていなかった人たちが正義の投石を行う光景があった。空気を読み合う発言にしんどくなって、多くの人が匿名性の2ちゃんへ流れた。けど2ちゃんも人が増え、ただの罵詈雑言が増えしんどくなった。そしてTwitterfacebookといったSNSの台頭。

SNS時代を生き延びインフルエンサーとなった人たちが啓蒙するのは、「炎上しても気にするな。むしろ意図的に炎上させてセルフブランディングしてフォロワーを獲得せよ」という話である。そうでなくともSNSで拡散力を得るには芸人化が求められるフシがある。

叩かれたりアンチと絡むのが面倒で、2ちゃんの匿名性が流行ったと思ったら、SNS時代になって個人を際立たせる芸人化が推奨されるように。でも、そういった個人を際立たせないと情報拡散させられないというのは、現行のシステムの欠陥でないだろうか。

例えばこういうのはどうか。誰かが新たに投稿した内容の価値は、人の目に触れるより先にディープラーニングによるプログラムが判断する。プログラムが価値が高そうだと判断したら、その情報を求めていそうな人へ優先的に拡散する。

さらに自動翻訳されて世界各国へ発信されると良さそうだ。そして投稿への「いいね」は投げ銭という形で発信者に還元される。投げ銭の仕組みはトークンとかブロックチェーン技術で下支えする。

このようなシステムなら、ただもくもくと有用な情報発信することに注力すれば収入になるし、芸人化する意味は薄れるのではないだろうか。有益な情報を発する力があっても芸人力がないと拡散力を持てないというシステムの欠陥を解消できるかもしれない。

セルフブランディングは自己承認欲求と関連しているし、 信者が支持すると歪みも生じうる。そういう人間の自我みたいなものは、最終的にはミームプールから排除すべきバグではないだろうか。世界中の脳が繋がりシンギュラリティに向けて並列処理する光景を妄想している。

起床と睡眠のサイクルを最適化したら1日を長く感じる

今まで私は朝6〜7時に起きて、夜0時くらいに寝ていた。ここ数年悩んでいたことは、13時過ぎから襲ってくる眠気である。今までも昼食を食べた後は、眠くなっていたのだが、数年前から耐えきれないほどの睡魔が襲ってくるようになった。ほとんど仕事にならない。

そして1〜2時間昼寝してからの寝起きもすこぶる調子が悪い。後頭部のあたり、脳の図で言うと小脳の当たりでしょうか?このあたりがズキズキして、やはり頭が働かず仕事にならない。今までも昼寝することはあったけど、起きた後ここまでひどく眠気を引きずることはなかった。

昼ごはんを食べないと耐えきれないほどの睡魔は襲ってこないことを発見した。空腹だと本能的に生存危機を感じるらしく眠くなりづらいらしいのだ。けど、やっぱり若干の眠気はあるし脳の機能が低下し、仕事はあまりはかどらなかった。

朝はいろいろやることがある。朝食の支度、洗い物、洗濯、ゴミ出し・・・朝7時に起きて眠くなる昼過ぎまでの6時間は、振り返ると思ったほど仕事に集中できていない。また昼間は買い物や、日によっては銀行へ行ったり税理士と会うなど、もろもろの雑務もある。どうも1日のフローが非効率だ。そこで起床と睡眠のサイクルを変えてみることにした。

朝4時に起きて仕事にかかる。7時に飯の支度するまで3時間の余裕がある。そして13時過ぎに眠気が襲ってきたら、迷いなく寝るようにした。最低30分、できれば1時間〜2時間寝る。起きてから買い物など雑務をする。17時の夕飯の支度までは仕事はあまりしない。夕食後の19時以降に仕事をする。そして23時には寝る。

このようにしたところ、起きている時間は睡魔と戦わなくてよくなった。このサイクルにして気がついたことは、早起きしようとも眠気は13時以降に襲ってくることである。3時間早起きしても10時に眠くなるようなことはなかった。そして、早起きして仕事もある程度しているから、安心して昼寝ができる。

そして昼寝から起きた後も以前のような不調を感じることはあまりなくなった。私は朝は寝起きが良いのだが、それと同じようなスッキリした感じがする。同じ昼過ぎに眠気が襲ってくるけど、今のそれは早起きしているから眠くなるというのもあってか、眠気の種類が違うように感じる。

早起きするようにしても以前より早く寝るので、睡眠時間は以前と同じ6〜7時間。しかし、起きている時間は睡魔と戦わなくて良いので、頭が働く時間が増えた。そうすると1日長く感じるようになったのである。結果、アウトプットも増えている。

私と仕事中、同じく睡魔と戦っている人は、最適化してみてはいかがでしょうか。在宅勤務とかでないと難しいかもしれませんが・・・しかし、もう在宅勤務になって10年以上になるけど、なぜ今まで会社員時代と同じサイクルを厳守しようとしていたのだろう。つくづく人って習慣にとらわれますね。

トークン投げ銭型SNSが普及すれば、人を支援するためのお金はもっと軽くなるのでは

最近、よく思うことはお金って重いなあということ。その重さがお金の循環を停滞させ、しかるべき人にお金が回らなくなっている原因ではないだろうか。

使ったお金が無駄なこと使われたり、使ったことが失敗だとわかると腹が立つ。飢えるかもしれない恐怖からお金を貯めようとする。「金は命より重い!」という台詞は決して言い過ぎではない。

今、ウェブの世界では投げ銭の仕組みが普及しつつある。YouTubeのSuper Chatや、noteのクリエイターを応援ボタンなんかがそうだ。ちなみにVALUは優待や売却益をもくろむ場合もあるから純粋には投げ銭ではないと思う。

先日、ALISという新型SNSプロジェクトがICOで資金集めをした。難なく目標金額を暗号通貨ETHの投げ銭で集めることに成功した。ALIS自身も投げ銭の仕組みが入ったSNSである。「いいね」を押すと投げ銭される仕組みらしい。厳密には銭=お金ではなくトークンであるが。ということで勝手にトーク投げ銭SNSと呼ぶことにした。

で、話が戻ってお金が重いという話。例えば、海外の貧困地域で支援活動をしている人がいるとする。彼らが支援活動の寄付を募ることは今も昔もあることだ。ただ寄付をすると、現地でこういう問題があることを知ってほしいといったセミナーの勧誘があったりする。

そこで応援する気持ちはあるけど、そういう重い問題に深くコミットしたいわけではないと、敬遠する感情を抱く人は少なくないだろう。そして深くコミットしたくない気持ちから寄付をすること自体ためらうようになる。

また、そういった海外で人道支援活動をしている若者に対して、海外の問題より日本の問題に取り組め、お前の教育費は日本国民の税金によるものだろう。といった石を投げる人たちもいる。少しでも寄付で集めたお金が私的なことに使われているとわかると、メテオストライクばりに投石し始める。

自身は対して社会に還元しているわけでもないのに、正義の投石を行う人達を見て、ただただ嫌な気持ちになり、ただただ息苦しさを感じる。で、こういう寄付をためらったり、寄付を受けている側を叩いたりって、お金が必要以上に重いことに起因しているのではないか?と最近、私は思うようになった。

たとえば人道支援活動をしている人の投稿がSNSで回ってきて、「いいね」をするのは気軽だ。中には正義の投石コメントもあるが、サイレントマジョリティ層の多くの人たちは、「若いのにがんばってるなこの人」「自分にはできないことをやっているな」という気持ちと共に、そっと「いいね」を押すだろう。

こんなふうに「いいね」を押す感覚で投げ銭できると、世の中大きく変わるのではと思う。いいね投げ銭1回あたりの金額が10円とかなら、応援したいと思った人に気軽にいいねできそうだ。継続的に活動を続けSNSにアウトプットしていれば、さらにいいねが増えて投げ銭で集まる金額も増えるだろう。正義の投石が行われても、共感度が高いサイレントマジョリティな人たちの投げ銭がやむことはないだろう。

人道支援活動をしている人たちも寄付してくれた人達に、ダイレクトなアプローチは必要なくなる。継続的に活動を投稿すれば、多くの人にリーチするようになり、自発的にこの問題に深くコミットしたいと思う人へ届く。彼らは自らSNSでメッセージを送るだろう。

自分が応援したいと思っている人に気軽に投げ銭して、頑張ってる人にお金が回るのが当たり前になる。そんなふうに、もっとお金に対する感覚が軽くなれば緩やかで優しい社会になるんじゃないかと妄想する今日このごろ。

ちなみに私はトーク投げ銭SNSは、NEM/XEMをベースにしているものができたら是非とも試したい。NEM/XEMはNEMネットワークの通貨XEMをより多くやり取りした人が、ハーベストという利息のようなものがもらえる仕組みだからだ。この仕組みは投げ銭し合う経済圏を作りうるのではないかと期待している。

って、まだハーベスト試してないけど・・・

チンクエ テッレ ペルゴーレ スパルセ 2016 カンティーナ チンクエ テッレ

イタリアの自然派ワイン。世界遺産「チンクエ テッレ」の急斜面の畑に植えられた最高のブドウで造る、凝縮した味わいの白ワイン(楽天ショップトスカニーさんの商品説明より)

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きれいな酸味、繊細な果実味、余韻はじっとり果実味が凝縮して染み入る感じ。なんだろう、特別アロマティックではないし個性的とも言えないけど、すごく全体の雰囲気を良く感じる。白い服が似合う清楚、可憐さ。それでいて芯の強さを感じさせる。そんな女性を連想させるワイン・・・あれ、気がついたら私の女性のタイプを熱く語っていた(笑)

しばらく常温にさらして温度が上がってくると、より果実の凝縮感とミネラル感を感じられるように。ちょっとさっき言った清廉、可憐というイメージとは異なってくる。

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で、商品説明のページを見てみたら、あ、この産地、前にBSで見た場所だ!昔の人がロープで身を縛って岩盤を削り落として作った畑。最大斜傾45度にもなる場所で作られているワイン。放送見ていて飲みたいなと思ったのを記憶している。まさか適当に選んで買い当てているとは!

いつもイタリアワインは楽天ショップのトスカニーで買ってます。

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コッリ ピアチェンティーニ ボナルダ 2015 イル ヴェイ

結構、イタリアの自然派ワインでは有名?なイル ヴェイ。

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口に含むとやや重口に感じるが、中盤からジューシーな果実味と自然派特有の味わいがある。舌にぷちぷちとした微発泡感もある。それでいて、舌がざらつくほどのタンニンの重さも感じられる。

ジューシーさとタンニンの重さ両方あるのは珍しい?重さを感じる割に飲みやすいです。 温度が上がってくると酸、果実味、自然派の味わいがタンニンと調和するように感じて、より美味しくなる。より重さを感じるようにもなるが、それでも飲み飽きない。

3日目でもほとんど味の劣化を感じない。それどころかまだプチプチした感じもある・・・自然派の生命力を感じました。

item.rakuten.co.jp