愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

地方でフリーでプログラミングスキルで生きていく

オープンな場よりクローズドなSNSに希望を感じる

インターネットのオープンな場で自由な議論ができる。それは希望的すぎた。

nectaris.hatenablog.com

以下、上記記事からの引用。

昔のインターネットの文章は、例えるなら、海に流すボトルのようなもので、どこかに流れ着いて、誰かに届けばいい。そんな感じのものだった。
楽しいことって大切だし、自分に言い聞かせていれば、気のせいでも楽し気持ちになれる。でも、人間、どこかで弱音を吐かないと生きていけないし、そういう場所は誰にだって必要だと思う。 インターネットがずっと、自分にとってその場所だったのだけれども、どうにも、最近、そうではなくなってしまったような、気がする。息苦しい。
最近のインターネットは、“正しい人たち”“正しくて普通の人たち”が多すぎるし、そういう人たちは、正義のためなら、どんなことをしてもいいと思っている。
そういう、その人の絶望の叫びに対して、それをたまたま見つけた、正しい人が、周りの、正しい人たちに拡散する。正しい人たちは、その人をよってたかって、ぼこぼこにして、正しさで押しつぶす。もともと、その言葉を発した人は、その言葉が、間違ってるのもわかっていて、それでも、自分の命や命よりも大事なものを守るために、その言葉を、海に流すボトルに入れて流したのに。
魂からの、“負の感情の発露”の文章、言葉というものは、“その人のパーソナルの一番繊細でデリケートな部分”から発せられるものだ。〝生身のその人自身”“命と同じようの大切で大事なものだ”それを、罵倒して、踏みつぶしてすりつぶす。正義の名のもとに。

今やオープンな場は、誰かがミスを犯すのを監視し、見つけたら徹底的に叩きのめす場になってしまった。何かの志を持ってオープンな場で発言しようとした人も、ミスを犯すのを待っていた人たちに叩きのめされる。

だから、こき下ろされようとも動じない、炎上もPV稼ぎ、セルフブランディングのうちと開き直れる、そういう心臓に毛が生えたような人でないとオープンな場では発言権を得るのは難しい。

ただ、自分は引用の記事ほど悲観していない。今でも匿名でtwitterアカウントを取り、身バレしないようにつぶやけば、海にボトルを流すようなことはできるし、オープンな場だけがすべてじゃないから。

リアルな友達だけで繋がったクローズドなSNSで、誰かがネガティブな感情をつぶやけば、みんなが慰めるような光景もある。クローズドなSNSは、あくまで面識のあるリアルな人間関係を拡張するものだから、穏やかな空気が漂っている。

facebookもオープンな場から注入された嘘ニュースや陰謀論など広告クリック収入目当ての撒き餌がシェアされ、そんな撒き餌をネタに正義の罵詈雑言を吐くおじさんたちもいる。

そんな空気にうんざりした若い子たちはfacebookをやめInstagramに流れる。たわいのない日常を写真でシェアし、穏やかな空気がただようInstagramは、サイレントマジョリティーの憩いの場である。

地域活性などのためにSNSを活用するなら、このようにクローズドな場で育てたほうが良いと思う。

  • まずリアルで自分に共感してくれる人たちとつながる
  • そのつながりをSNSで補強する
  • リアルな活動で信頼を築きながら、活動内容をSNSでシェアする

こうやって、顔が見える相手との信頼関係でコミュニティを育てる方法なら、心臓に毛が生えてなくてもいい。会ったこともない正義の人たちに揚げ足をとられるようなこともないだろう。道徳性を欠いたPV稼ぎに染まらなくていい。

それだと小さいことしかできないと思うかもしれ知れないけど、成功モデルができたら、そこに至るまでの経緯や方法論などをオープンな場でシェアすればいい。そして、誰かがそれをマネして同じようにうまくいけば広がっていく可能性はある。

クローズドなSNSのコミュニティで小さく育てて、成功モデルをブログなどオープンな場で伝え、遠方のどこかでまたコミュニティのクローンができる。これからはこういう流れに希望があるように思う。