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愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

地方でフリーでプログラミングスキルで生きていく

高齢者を敬う気持ちが薄れているという話を平均余命から考える

SNSで賑わっている文部省の教科書検定の件。郷土愛や高齢者への感謝の気持ちを持つことを促すよう修正させる意図があり話題になっています。

www.asahi.com

その中で高齢者への感謝の気持ちが薄れてしまったという話をする人もいるので、因縁生起、諸行無常の思考で、ちょっとその辺に言及したいと思います(笑)

そもそも人間が70歳以上まで生きるようになったのは、わりと最近になってのこと。また、もともと人間はそこまで生きるように設計されていないらしい。だから70歳を過ぎると身体より先に脳の寿命がきて、痴呆になり介護が必要になるといったことが起きる。

リンク先の厚生労働省の平均余命の表を見ると、人が70歳以上まで生きるのが当たり前になったのは、1945年あたりに生まれの人からのようである。

www.mhlw.go.jp

こういうのは平均寿命ではなく平均余命で見ることが大事だと思います。平均寿命で見ると、乳幼児の死亡率が高かった時代、その死亡率も入れてしまうと大きく平均値が下がってしまう。

なので、自立して収入を得て家庭を築くであろう20歳時点での平均余命を見る。そしてその平均余命が50歳を超えた、つまり20歳まで生き延びた人たちの平均寿命が70歳になったのはいつからかを見る。

そうすると1965年あたりから平均余命が50歳を超えている。つまり1945年以降に生まれた人から、70歳以上生きるのが当たり前になったと考えられる。今の40〜50代くらいの人たちの親世代ですね。

よって高齢者に対する敬意が失われたも何も、50年前は介護が必要な親を抱えることも、身近に70歳以上の高齢者がいることも当たり前ではなかった。対象が身近にいないのなら、高齢者に敬意を抱くこともできない。

また当時は70歳以上まで生きるのは珍しいから、身近な人に大事にしてもらえたということもあるのかもしれない。姥捨て山の話もあったりしますが・・・(あれはあくまで民話で実際に村の掟としてそういうことがあったという記録はないらしいですが)

だから高齢者の社会福祉問題は感情論ではなく、あくまで現代社会の問題としてとらえるべきかと思います。もちろん若い世代が人生を犠牲にするような形であってはならないし、高齢者をないがしろにしていいわけでもないです。

自分の親が高齢になって病気になったり介護が必要になるまでわからないものですが、いざとなったら自分の親は切れないものです。そういう時に社会福祉の制度に助けられます。高齢者のための社会福祉制度は、その子供が自分の人生を生きていくためにも必要なことです。

ということを自分も親が脳梗塞になった時に知りました・・・

道徳の教科書検定の話からそれてしまいましたので、最後に教育の話に戻します。「日本人の9割が知らない遺伝の真実」にある行動遺伝学の検証によると、社会に出てからは、本人が持つ遺伝的形質と今置かれている環境が、それまでの教育環境の違いの影響を大きく上回るそうです。

自分も道徳の教科書で習ったことは覚えていないし、特に今それが影響しているとは思えない。だから某学園で教育勅語らしきものを受けた園児たちも、そんな影響は微塵もなく立派に成長していくでしょう(笑)