愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

人間関係は広く浅くがストレスがたまらなくていい(人間関係のデフレ化)

余計なしがらみができるのが嫌で人付き合いを増やすことを避けていたけど、それは間違いだったようだ。最近、地域コンテンツのネタ探しに、暇さえあれば県内あちこちへ行っている。初めてのお店でカウンターに座って、お店の人にお店の事や街の事を聞いたりする。

異なる環境で新しい人と出会う事が楽しくなると、相対的に住んでる街で同じ人と会う機会は減ってくる。住んでる場所が離れている人とは、しがらみもできようがない。相手もしょせんは違う街に住んでいる人だという認識もあるだろう。

そうすると知り合いは増えるが、一人一人と深くつるまないので、人間関係は広く浅くなっていく。知り合いはたくさんいるから孤独感から解放される。濃密で面倒な人間関係からも解放される。ま、どこにでも人はいるし知り合いになれるよねという安心感。

いつでも手に入るもの。コモディティ化したもの。それは空気のような存在になり、その存在を深く考えることはなくなる。人間関係だって同じだ。いつでも人間関係を補充できると思えば、人間関係の価値が下がる。人間関係のデフレ化。

固定化された環境で気の合う人とだけとつるむのは居心地良く感じるものだ。でも他人はいつ変わるかわからない。やりたいことができて、あなたが住んでいる街を出ていくかもしれない。結婚して家庭に収まり飲み友達でなくなるかもしれない。

そうなった時、固定化された環境で気の合う人とだけつるんでいた人にとって、新しく人間関係を築くのはハードルが高い。そして孤独を感じるようになり、自身の意志ではなく周囲の変化に合わせる生き方を選択するようになる。

でも他人の変化に合わせるのはストレスがたまるものだ。逆に自分が変わらない選択をすると、新しく出会った人に自分に合わせることを強要したりする。人間関係の価値が高まりすぎると、それまでの人間関係が壊れた時、心のなかに暴落のようなものが起き、孤独や混乱が襲ってくる。

最近というか今ごろ高城剛氏の多動という言葉に共感している(うさんくささを感じるのも認める(笑))。彼も世界中を渡り歩いて広く浅い人間系の心地よさを問いている。動くこと、新しい人と会うことが習慣化すると、個々の人間関係に深く悩まなくなるのだ。

住んでる街から離れた街で、また会いに来ようと思える人が複数いると、合わないとは会わなければいいだけだという気持ちになれる。広く浅い人間関係はいつでも補充可能。自分が動きさえすれば。

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