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仏教の無常や無我はどう道徳とひもづくのか

何らかの理由で、あの世での報いを信じなくなり、現世での道徳をも見失いそうになったら、何を道徳の基準にすればよいのだろう。答えの1つは仏教にあると思う。

大乗仏教には仏教が他の宗教と異なる立場を示すものとして三法印というものがある。

三法印 - Wikipedia

三法印は文字通り三つの教えを示す。Wikipediaの記述によると、初期仏教には類似の概念はあったが三法印という言葉はなく、大乗仏教でのみ用いられるものらしい。しかし、個人的にはこれこそ仏陀の悟りの重要な部分を端的に表しているものではないか思う。以下、三法印について簡単に説明する。

  1. 諸行無常。世の中は移ろい変わっていくものである。人の心も環境も変わっていく。不変のものは何もない。以下、単に無常と言う。
  2. 諸行無常。あらゆるものは他の何かとの相対関係の上で成り立っている。単独で成り立っているものは何もない。すなわち人間の我=自意識も他者との相対によるもので実体はない。以下、単に無我と言う。
  3. 涅槃寂静。無常と無我を知らないから、人は誤った認識により苦しみから逃れられない。無常と無我を理解し、正しく物事を捉えられるようになれば、苦しみから逃れられる。

学校で歴史を習い、脳科学、遺伝子、心理学の本を少しでも読んだことがあるなら、無常と無我は世の揺るぎない真理だとわかるだろう。

しかし、仏教は宗教を名乗る以上、単に真理を説くだけでなく、道徳とひもづかなければならないのではないか。無常や無我は真理ではあるが、道徳心とひもづくのだろうか?なぜ大乗仏教三法印を他の宗教と異なる立場を示すものという重要な位置づけとしたのか。

自分がこの問いに明確な答えを得たのは、母親が脳梗塞で入院した時だった。母親の様子がおかしいと救急車を呼ぶと5分で来てくれた。家からすぐに市民病院に運んでもらい、すぐに脳をスキャンしてもらい脳梗塞と診断され、脳に溜まった血を薬で溶かすなど、迅速な処置を受けることができた。そのおかげで後遺症は軽く済んだ。

入院治療の後、院内の相談所を通してリハビリ専門の病院を紹介していただいた。リハビリが終わる前には、退院後のかかりつけ医やケアワーカーの紹介をしていただいた。地方都市であれ、病院への搬送から入院、退院後の生活のサポートまでのパイプラインがしっかりできていることは驚きだった。

そして、これらは過去から現在へと先人たちの善意が受け継がれたことで成立しているシステムなのだと理解した。もし自分が呪術的思考をする人間だったなら、自分の祈りによって母親は救われたと思うだけだったかもしれない。先人たちや社会へ感謝の念は生まれなかったかもしれない。

人、人、人。人の善意の積み重ねの上で、自分たちは今の社会を生きている。無常と無我を基本として物事を考える習慣があったから、先人と社会に対する感謝の念が生まれ、また自分も社会に何か貢献したいという意識が芽生えたのだ。

無常と無我の概念は、神様の存在やあの世の報いという概念抜きに道徳心を抱く理由付けになる。(神を信仰する人間はすべて不道徳という意味で言っているのではない。そういった信仰以外にも道徳とひもづく可能性があるという話である)

もし、あなたが何かを理由に神やあの世の存在を信じられなくなり、道徳を守る理由をも見失いそうになったら、まず脳科学や進化論の本を読み、それから仏教の無常と無我について考えてみるといいと思う。そこに救いがあるかもしれないから。