愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

自我とは記憶に付随するものかもしれない

受動意識仮説というものによると、脳が決定した行動を意識は追跡して認識しているにすぎないという。

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つまり、意識=私=自我が能動的に意思決定しているのではなく、脳が決定した行動を受動的に意識しているというのだ。この仮説によると意識とは、脳が決定したことを後追いで記録する記憶回路ということになるらしい。

確かに実感として思い当たる節がある。この1年くらい、私はなるべく同じ人とは間隔を開けて会うようにし、新しい人と話す機会を作ることを習慣にしている。そうすると、自我や自我にまつわる執着が薄れていっている感じがするのだ。

毎回違う人と会っていると、誰と何を話したかあまり記憶しなくなる。だから、あの時ああ言えばよかったとか、気分を害させたかもしれないとか、そういったことをほとんど考えなくなった。記憶に残っていないから自分の発言を振り返ることがないからだ。

また、知人とも久しぶりに会う感覚があるため、ネガティブな言動をしないのだ。久しぶりに知人と会った時に、いきなり愚痴を言う人は少ないだろう。それより、今まで体験したことを話したくなるものだ。そして、実際動いているから話すネタはある。

逆に独りでいる時間が長いと自分の意識と向き合う時間も長くなる。新しい情報が入ってこないから、考え込んでしまったりする。結果、自分の意識を記憶し続け、それらは強く記憶に残り、自我が膨らんでいく。

移動し色んな人と話していると、記憶の対象が自分の内側から湧き出る感情的なものから、外のことへ向かうようになる。今日会った人が話した今まで知らなかったこと、住んでいる場所から離れた街の見慣れない光景。

そうやって外部の事を記憶するために記憶回路が使われるようになったから、自我が薄れていっているのではないかと思う。ストレスフリーで良い気分である。