愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

トークン投げ銭型SNSが普及すれば、人を支援するためのお金はもっと軽くなるのでは

最近、よく思うことはお金って重いなあということ。その重さがお金の循環を停滞させ、しかるべき人にお金が回らなくなっている原因ではないだろうか。

使ったお金が無駄なこと使われたり、使ったことが失敗だとわかると腹が立つ。飢えるかもしれない恐怖からお金を貯めようとする。「金は命より重い!」という台詞は決して言い過ぎではない。

今、ウェブの世界では投げ銭の仕組みが普及しつつある。YouTubeのSuper Chatや、noteのクリエイターを応援ボタンなんかがそうだ。ちなみにVALUは優待や売却益をもくろむ場合もあるから純粋には投げ銭ではないと思う。

先日、ALISという新型SNSプロジェクトがICOで資金集めをした。難なく目標金額を暗号通貨ETHの投げ銭で集めることに成功した。ALIS自身も投げ銭の仕組みが入ったSNSである。「いいね」を押すと投げ銭される仕組みらしい。厳密には銭=お金ではなくトークンであるが。ということで勝手にトーク投げ銭SNSと呼ぶことにした。

で、話が戻ってお金が重いという話。例えば、海外の貧困地域で支援活動をしている人がいるとする。彼らが支援活動の寄付を募ることは今も昔もあることだ。ただ寄付をすると、現地でこういう問題があることを知ってほしいといったセミナーの勧誘があったりする。

そこで応援する気持ちはあるけど、そういう重い問題に深くコミットしたいわけではないと、敬遠する感情を抱く人は少なくないだろう。そして深くコミットしたくない気持ちから寄付をすること自体ためらうようになる。

また、そういった海外で人道支援活動をしている若者に対して、海外の問題より日本の問題に取り組め、お前の教育費は日本国民の税金によるものだろう。といった石を投げる人たちもいる。少しでも寄付で集めたお金が私的なことに使われているとわかると、メテオストライクばりに投石し始める。

自身は対して社会に還元しているわけでもないのに、正義の投石を行う人達を見て、ただただ嫌な気持ちになり、ただただ息苦しさを感じる。で、こういう寄付をためらったり、寄付を受けている側を叩いたりって、お金が必要以上に重いことに起因しているのではないか?と最近、私は思うようになった。

たとえば人道支援活動をしている人の投稿がSNSで回ってきて、「いいね」をするのは気軽だ。中には正義の投石コメントもあるが、サイレントマジョリティ層の多くの人たちは、「若いのにがんばってるなこの人」「自分にはできないことをやっているな」という気持ちと共に、そっと「いいね」を押すだろう。

こんなふうに「いいね」を押す感覚で投げ銭できると、世の中大きく変わるのではと思う。いいね投げ銭1回あたりの金額が10円とかなら、応援したいと思った人に気軽にいいねできそうだ。継続的に活動を続けSNSにアウトプットしていれば、さらにいいねが増えて投げ銭で集まる金額も増えるだろう。正義の投石が行われても、共感度が高いサイレントマジョリティな人たちの投げ銭がやむことはないだろう。

人道支援活動をしている人たちも寄付してくれた人達に、ダイレクトなアプローチは必要なくなる。継続的に活動を投稿すれば、多くの人にリーチするようになり、自発的にこの問題に深くコミットしたいと思う人へ届く。彼らは自らSNSでメッセージを送るだろう。

自分が応援したいと思っている人に気軽に投げ銭して、頑張ってる人にお金が回るのが当たり前になる。そんなふうに、もっとお金に対する感覚が軽くなれば緩やかで優しい社会になるんじゃないかと妄想する今日このごろ。

ちなみに私はトーク投げ銭SNSは、NEM/XEMをベースにしているものができたら是非とも試したい。NEM/XEMはNEMネットワークの通貨XEMをより多くやり取りした人が、ハーベストという利息のようなものがもらえる仕組みだからだ。この仕組みは投げ銭し合う経済圏を作りうるのではないかと期待している。

って、まだハーベスト試してないけど・・・