愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

情報発信においてセルフブランディングは本当に必要なことだろうかという問い

SNSでセルフブランディングの必要性が問われるようになって久しい。Google検索の上位はアフィリエイトがらみの記事ばかり上位に並ぶことも珍しくなくなった。そして発信者の信頼性が重要という情報と個人がひもづくべき論へ。でも本当にそうなのかな?という疑問。

まだSNSもなく2ちゃんねるができたばかりの頃。黎明期からインターネットのコミュニティに参加してきた当時の人たちも「コミュニティ疲れ」を経験していた。

当時は今よりインターネットに接続している人はずっと少なかったけど、簡単な趣味のホームページを作り、そこに掲示板を設置して同じ趣味の人達と交流することはあった。当時も荒らしや、本人は悪気はないけど必要以上に書き込み、色んな人と絡もうとうする粘着質な人はいた。そして、みな嫌気がさしてコミュニティが崩壊していく光景を目にした。

そんな中で現れたのが2ちゃんねるだった。原則みんな匿名。ハンドルネームどころかただの番号。それでも中には有用なスレッドがあり、貴重な情報が交換されていたりする。罵詈雑言の中に笑えるものや、泣けるもの、ほっこりするものもあった。

それを見て私が感じたコレコレ感。ネットでは情報の発信者がどこの誰なのかどうでもいい。情報が得られればいい。息抜きで笑えればいい。誰かの気分を害しないための気遣いや継続的な交流はいらない。そして、ハンドルネームを捨て、私はどこの誰でもない2ちゃんの一部になった。

ミームプールとしてあるべき形ってこうじゃないのかなと、当時を振り返って思ったりする。あそこからSNSでセルフブランディングって、なんか違う世界線へ移動してしまった気がする。

黎明期の小さなコミュニティでも不用意な発言をすると、以前からその人をよく思っていなかった人たちが正義の投石を行う光景があった。空気を読み合う発言にしんどくなって、多くの人が匿名性の2ちゃんへ流れた。けど2ちゃんも人が増え、ただの罵詈雑言が増えしんどくなった。そしてTwitterfacebookといったSNSの台頭。

SNS時代を生き延びインフルエンサーとなった人たちが啓蒙するのは、「炎上しても気にするな。むしろ意図的に炎上させてセルフブランディングしてフォロワーを獲得せよ」という話である。そうでなくともSNSで拡散力を得るには芸人化が求められるフシがある。

叩かれたりアンチと絡むのが面倒で、2ちゃんの匿名性が流行ったと思ったら、SNS時代になって個人を際立たせる芸人化が推奨されるように。でも、そういった個人を際立たせないと情報拡散させられないというのは、現行のシステムの欠陥でないだろうか。

例えばこういうのはどうか。誰かが新たに投稿した内容の価値は、人の目に触れるより先にディープラーニングによるプログラムが判断する。プログラムが価値が高そうだと判断したら、その情報を求めていそうな人へ優先的に拡散する。

さらに自動翻訳されて世界各国へ発信されると良さそうだ。そして投稿への「いいね」は投げ銭という形で発信者に還元される。投げ銭の仕組みはトークンとかブロックチェーン技術で下支えする。

このようなシステムなら、ただもくもくと有用な情報発信することに注力すれば収入になるし、芸人化する意味は薄れるのではないだろうか。有益な情報を発する力があっても芸人力がないと拡散力を持てないというシステムの欠陥を解消できるかもしれない。

セルフブランディングは自己承認欲求と関連しているし、 信者が支持すると歪みも生じうる。そういう人間の自我みたいなものは、最終的にはミームプールから排除すべきバグではないだろうか。世界中の脳が繋がりシンギュラリティに向けて並列処理する光景を妄想している。