愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

自然選択から考える年を取って好奇心が衰える人と衰えない人

年を取ると新しい事への好奇心が薄れ、新しいものをただ否定する人たちがいる。対して自分は40代になってもそれほど好奇心が衰えたように思えない。特別勤勉だとは思わないし、能力も衰えていっているだろうけど、今も新しいものに興味を持てるし楽しめている方だと思う。変化のない生活、人間関係は安心感より退屈さの方が上回る。

年齢と共に好奇心が衰え、新しいものを受け入れられなくなる人々に対して、保身や既得権益を守るために変化を望まず、新しいものを恐れるのだといった見解はよくある。けど、彼らの反応はもっと脊髄反射的に見えるし、受動意識仮説で言われるように脳がただそのような意識を生産しているだけのように見える。好奇心が衰える人と衰えない人の差は、単純に遺伝的形質の差であって、自分たちの先祖がどういう環境で生存してきたかによるのでは。と、最近思ったりする。

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キリンの首が長いのは、彼らのように高いところの果実を食べられる個体の方が、首が短い個体よりも生存確率が上がり、結果、首が長いキリンのみが残った。というのは進化論でよく語られる話。この話で大事なことは、キリンが高いところの果実を食べたいと念じたり、環境に合わせてキリンの首が長くなったわけではなく、偶然、首が長いキリンが生まれ、高いところに果実がある自然環境が、彼らを選択したという観点である。生物個体の生存の意志や環境適応の意志などは関係なく、たまたま首が長く生まれたキリンが自然環境のふるいに残ったということだ。自然が生物を選択していることから、これを自然選択という。

同様に、私達人間の中に年齢と共に好奇心が衰える人、衰えにくい人がいるのは、先祖が生息した自然環境の違いと関係しているのではないだろうか。例えば、作物が安定して育ち、水も手に入りやすい環境であれば、変化に対応する遺伝的形質はそれほど求められないと考えられる。

環境はなるべく変化しないほうが、生物個体の生存率は上がるだろう。自然環境が安定している環境で、わざわざ好奇心旺盛な人々による人為的な社会環境変化は受け入れないほうがいい。だから自然環境の変化が小さい環境では、人為的な社会環境変化を好まない個体の方が、好む個体よりも優先して選択されそうである。(若い時は生きていく術を学ぶための好奇心はあるとして)

ここで強く言いたいのは、あくまで自然環境が変化を好まない遺伝的形質を持った人間を選択するということで、人間の主体的な意志、生存戦略的な思考はあまり関係がないということである。元々変化を好まない遺伝的形質の人間が選択されるという観点である。

逆に自然の変化が大きい環境ならどうか。雨が降ったり振らなかったり、作物が育ったり育たなかったり、振れ幅が大きく予測がつきにくい環境であれば、状況に応じて生きるための知恵を絞る創造性など、環境の変化に対応できる遺伝的形質を持っている必要がある。さもなくば自然選択のふるいに落とされる。好奇心も生存に重要な要素のように思える。

日本という島国単位で見た時、それほど環境のばらつきがでるだろうかとも思う。しかし、今では問題にならないような小さな環境の差が、昔は生存に深く関わっていただろう。人間が自然選択のふるいにかけられ続けた数千、数万年という期間に比べたら、これほど食料と水の流通、人の移動が容易になり、祖先が異なる人々が入り混じって生活している現代は、まばたきのような瞬間である。

年齢と共に好奇心が衰え、新しいものを拒絶する思考は、遺伝的形質による主体性のない自動プログラムのようなものならば、彼らに新しいものの良さを訴えて認識を変えることが困難な事も納得できる。似たような遺伝的形質を持つ好奇心旺盛な人々と繋がることを優先したほうが、現代の生存戦略として有効そうである。大きな社会変化をもたらすテクノロジーは、もはや自然環境であって、実際の自然よりもテクノロジーの方が人間を自然選択のふるいにかけている。