愚かなハッカーたれ、利口なエンジニアよりも

自我と距離をおきたいプログラマの日記

広く弱い人間関係がもたらす奇妙な安心感

佐々木俊尚氏の広く弱くつながって生きるを読みました。この数年で得た感覚から共感できることが多い内容でした。

広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)

広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)

 

私も著者と同じくいずれは複数の街に住まいを持ち、多拠点生活をしようと思っているのですが、 今は家庭の事情もありできていません。宿泊も難しいです。しかし、時間さえあれば、住んでる街と違う街へ出かけるようにしています。そして、飲食店で働いている人と顔見知りになってInstagramなどで繋っていきます。(地方はたいてい初対面でもすぐ繋がれます)

そして、かれこれ2年近くそうしていると、住んでる街から電車で1時間圏内の各街で知り合いができました。私はInstagramで行く店行く店で食事の写真や動画をアップしているので、みんなに各街の飲食店の情報をシェアする形になっています。次会った時も知り合いのお店に行ってましたねとか、あの店気になっていたんですよと話もしやすい。

彼らのほとんどは一緒に遊ぶほどの仲になっているわけではないし、困った時に頼りになるとも思わないのですが、いろんなところに知り合いがいると「どこででも誰とでも繋がれるし、どうにか生きていけるよな 」という奇妙な安心感が生まれてきます。まさに同じことが、この本の中で書かれていました。

そういう安心感からくる余裕があると、ネガティブな感情を抱え込まなくなっていきます。多少嫌なことがあっても、住んでる街を離れて別の街で酒を飲み、久々に会う人と話していれば忘れてしまいます。

住んでいる街から動かず固定化された人間関係の中でいると、ささいな価値観の違いや環境がもたらす不遇さにばかりフォーカスして、心の中で問題を過大視するようになっていく。移動する習慣を持つと、このことに俯瞰的に気付くことができます。

また毎回違う街で違う人と会っていると、誰といつどこで何を話したか細かく覚えなくなります。そうすると思考の沈殿がおこりにくくなる。あの時、ああ言ってしまったけど気分を害さなかったかとか(たいてい相手は気にしてない)、彼のあの考えは納得がいかないとか、そういったことを考えなくなる。移動中に嫌な感情もどこかへ置いていくような感覚になる。

人それぞれとはよく言うけど、それが頭の中だけでなく皮膚感覚で持てるようになる。全てにおいてわかり合える人はいないことが当たり前と思えるようになり、多少の考えの違いがあってもスルーできるし、議論みたいなこともしなくなる。

広く弱いつながりばかりになると、心底わかりあえる人がおらず孤独感や不安感が増すように思う人も多いと思うけど、自分の中には全く逆の感覚がある。今日の気分で話したい事がある時は、その話ができる人と会えばよい。知り合いが多いとそういう選択権ができる。そうすると結局、気が合う人とだけ話しているのと同じ状況になるのだ。完全に気が合う一人を探すより、こっちのほうがはるかに実現は容易である。

そして彼らはみな違う人間なので、自分が知らないことを聞く機会もある。同じ人とは続けて会わないようにしているので、数ヶ月ぶりに会う人も多い。だから、いつも新鮮さがあるし、お互いに楽しくしていられるのだ。